処女作「源叔父」
独歩が佐伯にいた1年足らずの間にも書き続けられた「欺かざるの記」と名付けた日記は、独歩の死後に出版されている。後に作家としての独歩が、この日記を創作ノートとして役立てたであろうことは、独歩の小説家として処女作となった「源叔父」の主人公である源叔父と紀州と思しき人物も、佐伯で過ごした日々に書かれた日記のページに記されていることから容易に推測される。
あらすじ「妻子を亡くし、孤独の人として船頭暮らしをしていた源叔父が、紀州と呼ばれる物乞いの孤児を家に入れ、ひとときの擬似家族とする中で、忘れていた生きる喜びを取り戻しつつあった。ある夜、帰宅した源叔父の家に、待っているはずの紀州が見当たらない。源叔父は「我が子よ」と叫んだが返事はない。
紀州を失った源叔父は、失意のうちに自殺を遂げる。ある人が紀州を見つけ、源叔父の死を告げるが、紀州はそのことを理解したのであろうか、告げた者の顔を見つめるのみであった。」
淡々と書き進める独歩の筆致は、全編を通じて物悲しさを醸し出してはいるものの、独歩は決してその中に自らの感情を表現することをせず、老翁と悲しき物乞いの孤児の物語を通じて、読む者に幸福とは、生命とは、家族とは何であるかを考えよという課題を、今も私たちに問いかけているように思えてなりません。
独歩の小説処女作と呼ばれているこの作品ですが、実は源叔父発表の数年前に、雑誌へ小説仕立ての作品を数作発表しています。しかし、独歩自身この源叔父を小説の処女作と言い、現在もそう認め続けられているということは、小説家独歩誕生に相応しい作品であり、きっと、その後の作品に脈々として流れ続ける作風に共通する何かが存在するからでありましょう。
また、一年足らずの佐伯生活で得た経験は、独歩にとって極めて印象深く、その後の東京生活の中で、時間を経るに従い、文学者独歩の片隅で、我知らぬうちに小説表現の題材として、フツフツと醸成されていったに違いありません。
独歩研究の第一人者である中島礼子先生は、佐々城信子との離別が、源おじ執筆のきっかけとなったのではないかとおっしゃっています。先生のおっしゃるように、喪失感を埋めるため、忘れるため、新たな小説という表現の世界に独歩を向かわせたのでありましょう。
そして、ある日ついに、珠玉の名作として生み落とされたこの作品は、すでに習作の域を越え、文学表現の中で小説を自家薬籠中に収めたと納得できる作品であったのでしょう。あらゆる偶然と必然が折り重なり、私たちのふるさと佐伯が、後に文豪と評される国木田独歩の処女作の舞台となったことに思いを馳せるとき、改めて深い感慨を覚えるのであります。
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処女作「源叔父」 発表雑誌「文藝倶楽部」 明治30年8月号
北野昭彦「独歩の「源おぢ」について」(「園田女子大論文集」11(1976))
岩崎文人「源叔父成立考」(「雑誌名」(1992))
源おじ(青空文庫)
筆者紹介宮明邦夫
佐伯独歩会副会長。みやあき薬局経営。県南落語組合結成時の一人でもある。
滑らかな語り口で佐伯の歴史物語をケーブルテレビ佐伯で放送している。
佐伯市のさまざまな催し物の実行委員長を務め、忙しい日々を送っている。
著作には『藩シリーズ 佐伯藩』がある。