ロゴ独歩の四季プロジェクト

このページでは写真とともに、独歩の愛した佐伯の自然をご紹介します。

佐伯市地図

佐伯地図 銚子渓谷 尺間山 元越山 城山 番匠川 塩釜桜 鶴見崎

地図内の地名をクリックすると記事へリンクします。記事内の写真をクリックすると大きな画像が見れます。

鶴見崎

鶴見崎1

 独歩が「鹿狩」につれていかれた所である。鹿狩の行程は、12月3日夜10時に佐伯の葛港から船でいき、猿戸という所についた。佐伯湾は半島に囲まれており、おだやかな内港で船で行き来するのには適している。
12月になるとかなりの風が吹くことが予想されるが、「風の具合がよいので、、、心持ちよく走った。」と書かれている。

 そこから、鶴見半島の猟場にいき、鹿狩りをしたと思われる。
植林をしていないので、昔からの自然がよく残っている鶴見半島のシシガキなどを利用して猟をしたと思われる。

 鶴見半島の端には、九州最東端にある鶴御崎灯台があり、ここから天気の良い日には四国が眺められる。

塩釜桜

塩窯桜1 塩窯桜2

 独歩が住んでいた坂本邸から青山の東光庵は16kmほど離れている。健脚の独歩は佐伯の自然美を探索したいとの強い思いから、この道のりを遠行したのであろう。
東光庵の塩釜桜は早咲きの桜で、例年3月20日くらいが満開になる。花びらは白く、散った後が塩のように見えることや塩釜から持ってきたという言い伝えから、塩釜桜と名付けられたという二つの説がある。

 「欺かざるの記」の明治27年4月1日にこの青山行を書いている。

 「昨日の黒沢行を誌し置く可し。」(二日朝認む)

 昨日は日曜日。教会の人々と共に黒沢と称する処に桜見物に出行きぬ。此黒沢の桜と云うは吾が佐伯に来たりし時以来己にしばしば耳にする処なりし也。佐伯町を去る三里半の山奥に在り。

 拝礼終はりし後、同行者八人午前十時半頃出発す。帰宅したるは午後七時半なりし。
桜花は已に散り居たり、只だ落花紛々の景を賞するを得たりしのみ。吾等それのみにても満足したり。

 桜樹が二本あるのみ、されど何百年を経たりしとも知られざる老樹なり。なかなか世にめづらしき大木なり。立派なる庵あり、東光庵と称す。
 散りにけり、いざ事問はん村びとよ。此辺はまことに遠村なり、されど人は住み花は咲き、其処に人生あり。
 其処に老弱男女あり、其処に吾あるなり。花のさかりをいかに眺めし。

番匠川

番匠川1 番匠川2

 現在の佐伯市は、番匠川が形成した中洲を橋によって交通が便利なようになっているが、昔は船が交通手段で、小舟に乗って船頭が櫓を漕いで、人々を運んで行っていた。

 番匠川は佐伯市の中心を流れる大きな河川で、上流も水質がよく、夏になれば多くの子どもや家族が泳いだり、足をつけたりして涼をとっている。独歩がいるころには、白魚取りなどがさかんに行われていて、白魚取りは春の風物詩だった。

独歩が元越山や青山の桜を見に行くときには、船頭町から小舟に乗っていく様子が描かれている。

 「豊後の国佐伯」では、番匠川のようすを「日落ちて蒼煙飛び、汐満ちて小舟散じたる後、河を渡りて郊野に出で、小丘に登りて顧みれば、黒き城山、寂びたる古城市、その朦朧たる倒影を暮潮に浸すを見る。」と描いている。

城山

城山1 城山2

 独歩は佐伯に着くや、近くの城山に登っている。高さは120mくらいで登りやすい山である。山頂には、昔の毛利氏が築いた鶴谷城の石垣が残されている。ここに2番目の独歩碑と独歩文学碑が設置されている。独歩碑は、独歩が愛した佐伯の町と佐伯湾を一望のもとに見渡たしている。

 坂本邸に移った独歩は、坂本邸の近い登山道から頂上に登ることが多かったようである。「春の鳥」に描かれているように、近くの少女が枯れ枝を集めに城山に来たり、少年が遊びにやってくる場面に出くわしたことであろう。

城山3

 現在も毎日のように老いも若きも山頂目指して、登山している。佐伯市民に愛されている山である。

 「豊後の国佐伯」の中に「佐伯の春、まづ城山に来たり、夏まづ城山に来たり、秋また早く城山に来たり、冬はうど寒き風の音をまづ城山の林に聞くなり。

 佐伯寂たる時、佐伯寂たり。城山鳴る時、佐伯鳴る。佐伯は城山のものなればなり。」とリズム感のよい調べの文章、城山のことが紹介されている。

元越山

元越山から見た景色1 元越山から見た景色2

 元越山に登るのには、現在木立地区と色利地区から登っていく登山道があるが、独歩が登ったのは、浦代峠から登ったようである。途中道に迷ったが、土地の樵に出くわし道を聞き、登っていった。山頂近くの状況を次のように書いている。

 「登ること数町にして頂上に達せり。周囲に一樹一峰の遮るなく、これに加ふるに一等三角点(測里基)あり。梯子を登れば板を敷く六畳、眺望最便なり。されど、余らの最も愉快に感じて忘るるあたはざるは、頂上に達するやいなや、縹渺なる大海忽焉として双眸のうちに 入りたる刹那、高遠なる大観に対したる瞬間、一種言ひあたはざる感に打たれ、ほとんど涕泣せんばかりなりき。」視野がひらけ四国方面、九州の山々が望める名山である。

小川の銚子淵、滝に遠行

 銚子渓谷は佐伯の西方五里、中野村小川地区の山中にある。銚子八景と呼ばれ独歩当時より良く知られた名勝であった。

 独歩は二度の遠行を試みているが、第一回は佐伯に来て一月足らずの明治二十六年十月の二十二日であった。弟修二を連れ案内人を雇い三名で銚子淵を目指している。

 二回目は年も変わっての五月六日、目的は前回見なかった滝を目指し、新緑の谷をさかのぼって滝の真下に出ている。鶴谷学館の生徒で教会のメンバー五名、独歩兄弟の案内である。気の合う仲間であったが、「同伴者多くして無益の談話多く。自然との談話少なし」と嘆いているところは独歩らしい。
朝七時三十分出発、夜の九時に帰宅している。「尾間日記」には弥生の祇園神社に帰路至るとあるので、現在の道と異なり、切畑,笠掛、三股、小川と山越の道があったのかもしれない。

 現在では本匠小川の奥、岩屋地区より山道を登る。やがて、左手に案内板、車二~三台ほどの駐車場がある、左手の小道を下ると滝にでる。案内板からいくらも登らず、林道がT字型に交わるところ車を止め左手の小道を谷に下ると銚子淵である。

尺間

 尺間山は佐伯の北西8キロに聳える県南一の高山で標高608mである。山頂の切り立った岩の上には霊峰尺間神社がある。

 独歩は尺間山に2度訪れている。
明治27年10月8日、初回は床木道より急坂を上り300段を経て山頂にいたり、尾根を弥生の植松に向かって延々と下り愛宕神社に至る道を採っている。
 2回目は弟収二を伴い、11月18日に先に帰路となった植松よりの道を登り、山頂に1泊している。この道は12,5キロ。眼下に大入島、佐伯湾、豊後水道を遠望できる素晴らしい景観である。 帰路は津久見道を下り彦岳に登っている。夜は東の覗(のぞき)より名月を眺め、「ワーズワース吾を欺かずと覚え候」と書いている。


筆者紹介真柴茂彦

佐伯独歩会理事。植物研究者。
大分県植物研究会会長 佐伯市自然環境調査研究会 代表を務めるかたわら、佐伯合同短歌会 佐伯史談会会長も歴任するなど、文理両方の分野にわたって活躍している。
研究論文・著作の数は数知れない。

写真撮影藤浦武久

佐伯市鶴岡町在住 写真愛好家

ページのトップへ戻る