佐伯独歩会が開催するイベント情報
イベント情報
イベント報告
国木田独歩の通勤路を中心とした遠行
11月17日(土)は、独歩の四季プロジェクトの最後のイベント、独歩の通勤路を中心とした遠行をおこないました。
そして、その近辺にあるうまい食べ物を試食するイベントに宮明さんの解説でおこないました。集合場所は汲心亭で、菓子作り「3時」さんのマリンレモンをつかったお菓子にお茶をいただき、これからいただくおいしい食べ物の食欲増進剤をかねていただきました。つぎに、国木田独歩館を訪ねましたが、ちょうど、文豪ストレイドッグスも行われており、ちょうどよい時期に実施できました。この日は観光客も多く、どこから来られたのかうかがうと、東北地方からわざわざこの文豪ストレイドッグスの催し物を知り、訪ねて来られたという人もおられました。
観光交流館では、「豊後の国佐伯」にも書かれているように独歩の愛した樽柿を賞味しました。
独歩は坂本邸から鶴谷学館に通勤する通勤路である神明通りを通っていくとちょうどお昼になりましたので、「つね三」で佐伯の郷土料理である「あじずしと「ゴマ出しうどんを賞味しました。
これは佐伯がほこる郷土料理で、「つね三」のすしとうどんは格別おいしかったと参加者は感想を述べておりました。そして、独歩の勤務先の鶴谷学館の前で説明をいただき、クリスチャンであった国木田独歩が佐伯で通っていたその近くのキリスト教会の跡を確認しました。
そして、昔、佐伯の商売の中心であった船頭河岸を探索しました。
現在の船頭町は家屋の位置はそのままであるが、住吉神社や現在通っている道路・川の流れは随分と変化しており、むかしの船頭河岸の跡を確かめると、船付きばへ至る石段が残っておりました。この跡から昔の船頭町が偲ばれました。
「しのざき製菓」で「しきし饅頭」の歓待・「たかばやし製菓」の「甘酒饅頭」の賞味とお腹いっぱいのつまみ食いをいたしました。帰りには地元のこめと地元の大豆を使ったお味噌もいただき、佐伯にはおいしいものがたくさんあることがわかりました。
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美しい佐伯を求めて~独歩の跡もたずねて~
平成30年佐伯独歩会講演会を10月14日(日)13時30分より三余館大会議室でおこないました。講師は全日写真連盟大分本部委員長の藤浦武久先生です。
まず、藤浦先生が最初になぜ、写真を撮り始めたのかという経緯を語られました。佐伯市が8か町村が合併して、新しい佐伯市になったが、その地域全体のことを知らなかったことから、いままで行かなかった場所に行き、写真を撮っているといろいろな地域にはすばらしい風景・自然があり、写真を撮り続けていくと、海、海岸、川、渓流、渓谷 滝 山、山林、田園風景、日の出などの題材の中に独歩が遠行して訪ねた風景・自然と重なるところがあったそうです。
藤浦先生が訪れた場所は、
歴史と文學の道 櫓門や養賢寺・ 展望した風景 城山山頂 尺間山・ 番匠川 河畔 夕景・ 青山 塩釜桜・夜景 葛港周辺などを訪れたが、これらの場所は独歩が訪れた場所となっていたそうです。独歩は、銚子の滝には、二回ほど訪れているが、先生は二回どころではなく、最高のシャッターチャンスをえるために何回も訪れたそうです。
藤浦先生が示してくれた美しい写真を私たちにただ見せてくれただけでなく、その写真をどのようにしたら撮ることができるか、その写真の撮り方として、左右対称にとる。城址の石垣にカメラをくっつけて、下から上に向けて石垣を強調して撮るなどの写真技術などを教えていただきました。
美しい写真を撮るためには、さまざまなチャンスを狙って写真撮影したことが窺われました。佐伯市がかつて城山山頂の石垣をライトアップした際に、写真撮影のゴールデンタイムにいき空の色が青みがかった空を撮り、空の美しさを撮る方法や城山山頂より番匠川の風景を撮る時、やはりゴールデンタイム(朝や夕方のさまざまに色の変化がある時間帯)に次々に変化する空の色の違いなどを時刻を追って、絞りや露出時間などどのように調節するかを丁寧に教えていただいた。
銚子八景を撮影した時には、何回も訪れる。露出により流れが変化する瀧の流れを露出時間を変化させることに、滝の流れ落ちる写真の違いをスライド投影していただいた。
水面に映りこむ自然の色の美しさも露出時間により変化することや小さな水たまりにも美しい自然があることなど、写真家としての藤浦先生の感性の繊細さや美的感覚のすばらしさがあることが話の端々から伝わってきました。
デジタル写真になってからは、写真の撮った後の後処理の仕方も大切要素であり、色を変化させたり、何枚を重ね合わせたりすることで、今までにない写真を作ることまでも教えていただいた。
参加者の感想として、いろいろな撮り方、合成など教えていただき、勉強になりました。佐伯のいろいろな場所が見られた。写真一枚一枚がとても素敵でした。光の航跡、蛍が印象的でした。写真・映像の美しいところ、いろいろなテクニックを駆使している所。撮る努力。写真撮影の場と時間との関係など初めての技術を聞き、たいへん面白く感じました。お人柄が偲ばれる話し方で、とても心に響きました。被写体があれば、シャッターを押すだけで写真を撮ることができるような気がしましたが、感性・技術、、、そして愛情・意欲それらが合わさって芸術としての写真ができるのだということがよくわかりました。そして、改めて佐伯のすばらしさを、、、、。
何度も同じ場所に出かけて撮影している。自分にできるかどうか、とても感動しました。
などの先生の写真にかける情熱を参加者は感銘していた。
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読書会~「豊後の国佐伯」から独歩文学を眺める~
8月5日(日)14時より佐伯東地区公民館において、中島礼子先生の指導で「豊後の国佐伯」を読書作品として、読書会をおこないました。
読書会に入る前に、国木田独歩が「豊後の国佐伯」を執筆する前後の状況を説明してもらいました。
矢野龍渓から鶴谷学館の教師の適任者を紹介してくれと依頼された徳富蘇峰は、国木田独歩を推薦する。独歩は明治26年9月30日佐伯に鶴谷学館の教頭として赴任する。ワーズワース詩集を前年入手しており、ワーズワース詩集に感銘した独歩はワーズワースの世界をこの佐伯に見ることができ、10か月の間、熱心に佐伯中を遠行した。佐伯から上京した独歩は国民新聞社に入った独歩は、4年後に「豊後の国佐伯」を国民新聞に発表する。
上記のような執筆当時の前後の状況でした。 と説明していただきました。
参加者の中には、中島先生の国木田独歩の話が聞けるかと思って参加している人もいましたが、参加者一人ひとりに感想を聞きました。
「独歩は、夜分佐伯を徘徊することが多く、暗い中の佐伯の良さなどを書いているので、普通の人とは、感受性が違うのではないか。」
「独歩は10が月ぐらいしかいない中で、これだけ佐伯の情景を詳しく書いているのは、佐伯を詳細に見ていたのではないか。」
「城山のなかで、「古城の妖精目覚めしにあらずや」「一犬深夜に市街の一端に吠ゆれば、城山の山彦ただちに答へて、これを他の一端に伝ふ」などは非常にファンタジーがあり、また今ではわかりにくい文語で語っており、かえってその時代に合った表現をしているのではないでしょうか。」
「秋になると、国木田独歩の『春の鳥』をよみます。また独歩の作品をよんでみたいです。」「春の鳥にかかわって、1の梟声について、独歩は鳥について非常に関心を持っていて、この梟声から頭を離れず、名作といわれた『春の鳥』に結びついていったのではないでしょうか。」
2の乞食については、ふつうでは書かないでしょうが、独歩は「彼は何者」と書いているように紀州によって、人間とは何かと考えさせられたのではないでしょうか。」などの感想が聞かれました。
先生は最後に 独歩の関心ある順にこの随筆を書いた。1梟声は『春の鳥』2の乞食は『源叔父』の作品に結びついていった。「豊後の国佐伯」はこれから先の独歩の文学のいく末を指ししめた作品だと思います。と締めくくりました。
いままでの独歩の作品理解よりは、深くなったのでないかと思われます。
参加者は、25名でした。
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独歩の聞いた音演奏会・口演会
2月24日(土)14時より和楽大集会室で、独歩の聞いた音演奏会・口演会を実施した。
独歩の生きた時代は、江戸時代の文化を脱し、新しい西洋文化に影響され、その文化を受容していた時代であった。それだけに西洋音楽のすばらしいもの・有名な音楽」が紹介され、日本に広めていった。
また、日本では滝廉太郎などの新進の若い音楽家が西洋に留学して、西洋の音楽の良さを取り入れつつ、日本人にふさわしい日本音楽を作りだしていた創成期の音楽が創られた時代であった。
第一部は独歩の聞いた音演奏会として、音楽は琴傳流ひまわり会と中国楽器演奏団体の天響に演奏していただいた。
琴傳流ひまわり会は、●箱根八里(1901) ●旅愁(1907) ●ふるさと(1914) ●荒城の月(1901) の曲を演奏した。大正琴で演奏するこれらの曲は、懐かしい時代の雰囲気を漂わしていた。
中国楽器演奏団体 天響は、●埴生の宿(1889) ●庭の千草(1884)●故郷の人々(1888)● 紀元節(1893)●荒城の月(1891)の曲を演奏した。二胡や笙、揚琴などの中国楽器で演奏した。中には、初めて見るような中国楽器もあり、中国楽器で明治時代の懐かしい曲を演奏するのを聞くことなどめったにないことであり、また、大正琴と中国楽器で演奏する「荒城の月」を聞き比べるのも趣きのあるものであった。天響の演奏者は、衣装にも工夫を凝らして、明治大正時代の衣装で演奏したので、ますます懐かしさが倍加したのではないかと思われる。
第2部は 矢野大和さんによる「出版するよろこび」という題で口演をおこなった。
独歩は、「豊後の国佐伯」「源叔父」「春の鳥」「小春」などの佐伯にかかわる小説を出版しているが、それ以外に、矢野龍渓のアドバイスにより近事画報や現在でも出版されている婦人画報の文とイラスト・写真の雑誌の編集者として活躍した。その出版するとかかわらせて、矢野大和さんも本を多数出版しているので、その「出版するよろこび」とは何かということを口演していただいた。
軽妙な喋りと現在の時事事項や現在の状況をまじえながら、書くことの対象は気を付ければいくらでもある。疑問に思ったことや自分の半生を家族に知らせるためにも、子孫に記録を残しておくことは大切なことである。そして、なによりも出版するよろこびは、自分の分身を生み出した喜びであるということを語り、来場者を飽きさせないで、口演してくれた。
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秋の遠行
11月19日(日)秋の遠行
11月19日(日)国木田独歩の文学作品「鹿狩」の舞台である鶴見半島猿戸を巡る佐伯独歩会の秋の遠行をおこなった。
計画では、独歩たちが鹿狩りをおこなった行程をたどるために船でのいききを考えていたが、船営業者は冬の海は波が荒いので、着岸がこんなであるとの理由で運行ができないため、陸からマイクロバスをチャーターして行った。
10時に佐伯文化会館下駐車場を出発して、初参加の方が多いので、国木田独歩がなぜ佐伯に来たのか、どの程度佐伯に滞在したのか、どのような所を巡ったのか、たった10ヶ月の間に佐伯の美しい自然を訪ねて回ったことや独歩文学にとっての佐伯の意義などを簡単に説明しながら、猿戸まで行った。
当地では、地区で育ったAさんに独歩の鹿狩りについて説明をしてもらった。Aさんの説明では、12月におこない、船は滑るように運行できたと書かれているので、天候がよく順調な航海だったのではないかと思われるとか、「鹿狩り」作品には「さの字」の港とあるので、猿戸についたのではないかと考えられるなど簡単に説明していただき、風が強いので、間越の峠で風を避けながら、この先の鶴見半島が鹿狩りを行った場所であると思われると解説してもらった。
猿戸だけを見て帰るのはもったいないので、「はざこネイチャーセンター」を訪ね、ウミガメの飼育や現在行っている研究などを紹介してもらった。
松浦に行く途中に島江地区の坂道から鶴見スカイラインに上がり、鹿狩りでも見られたシシガキを見学した。独歩は鹿狩りをした後、鶴見半島の尾根をたどり、浦代に抜けて、帰ったようであるが、今は木々が生い茂り、道がわかりにくいのではと思われるが、Aさんの話では、昔の地区の人は山に入り、火力を確保するために、雑木林の木々を伐採する仕事を日常おこなっていたので、尾根の道がはっきりとしていたのであることを説明してくれた。鶴見半島の至る所に動物の作物被害を避けるためにシシガキを設置しているが、このシシガキも鹿狩りに利用しているようだった。
この遠行のもう一つの目的は、独歩の食した味を探索することであり、独歩は随想「豊後の国佐伯」で書いているように、佐伯の柿を堪能した。これは、渋柿を樽抜きしたものであると思われるので、樽柿と佐伯の名物である郷土料理をめばるの会のみなさんに調理してもらい、その味を楽しんだ。
参加者は15名であったが、参加した人にはよかったという感想が聞かれた。また、このような企画がある際には知らせてほしいとの声が聞かれた。
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第109回独歩忌
6月23日(金)18:30~より第109回独歩忌を開催しました
今年の独歩忌を開催するまでに顧問の中島礼子先生のアドバイスを仰ぐことができて、難解な独歩の文章の読み方などをうかがってきました。
その中島先生が当日参加されることになったので、開会の挨拶の後、先生から一言挨拶をしていただきました。
また、大野副会長が過去、独歩の終焉の地である南湖院を訪れた時の様子を語ってくれました。
来賓あいさつとして、土崎教育長が独歩と佐伯の関わりについて語ってくれました。
今回の独歩忌は、独歩作品の朗読とフルート演奏による第109回独歩忌としました。
独歩作品は、独歩が佐伯を去ってから1年後に書かれました『豊後の国佐伯』から「城山」「番匠川」と『元越山を登る記』を朗読してもらい、国木田独歩と同時代の作曲家滝廉太郎の「花」「秋の月」「箱根八里」「荒城の月」を演奏してもらいました。
朗読者は元OBSアナウンサーの藤川和子さんの落ち着いた深みのある声で独歩の作品の良さを引き出し、往時の佐伯の姿を浮かび上がってくるように思われました。
フルート演奏の久知良明美の独奏も独歩の作品とタイアップして、明治時代を彷彿させていました。
ナレーターを務めた宮明副会長のナレーションの内容はユングの共時性という考えを援用して国木田独歩・滝廉太郎・土井晩翠が同時代に生き、何らかの関連を持ちつつ、作品を仕上げってきた経緯などははさみ、独歩作品と滝廉太郎の歌曲と土井晩翠の詩が深くかかわりっていった経緯を説明したもので、朗読と演奏が倍加した効果を齎しました。
当日参加したした方々は、「貴重な時間を過ごすことができた」「改めて佐伯の様子が生き生きと想像することができた」「佐伯の良さを改めて見直した」などの声が聞かれました。
朗読中にも、往時の佐伯の様子が朗読されていくにつれて、うんうんとうなずく姿がみられ、参加者は納得して視聴している姿が見られました。
参加者数は45名で昨年よりは少し増加したようです。
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春の遠行
平成29年3月19日 城山三の丸 矢野龍渓宅 国木田独歩館 東光庵の塩釜桜
春の上天気に恵まれ、楽しく遠行することができた。参加者は二十名で年齢が70歳を超えている人が多かったので、安全に歩行するためにノルディックウォーキングの講習もかねて行った。
いろいろな場所や碑の説明は、佐伯独歩会の副会長大野壽一氏、佐伯史談会会長佐藤巧氏におこなってもらった。
説明した場所は、櫓門、野村越三胸像 中根貞彦氏歌碑 矢野龍渓碑 佐伯文庫 矢野龍渓宅 国木田独歩館の旧独歩碑 国木田独歩館の移築させられてきたことなどを語ってもらった。
観光交流館よりマイクロバスに乗り、青山黒沢の東光庵の塩釜桜までいき、塩釜桜と西南戦争の際に東光庵が政府軍の司令部だったことや、国木田独歩が4月1日に東光庵を訪れ、桜花はすでに落花していたが、想像をめぐらし塩釜桜を鑑賞した黒沢地区の人たちのおもいについて「欺かざるの記」に書いていることを語ってくれた。
遠行は10時より13時までであったが、用意された資料によって、また説明により今までにない佐伯の歴史を理解できたことと思われる。
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独歩の四季 冬 演奏会
「独歩の四季 冬」の部は西日本B-1グランプリの事業に協賛して、歴史と文学の道を訪れる観光客・地域住民に独歩が生前耳にしたであろう音楽を大正琴演奏団体「琴傳流 ひまわり会」の方々のご協力を頂き、演奏をおこなった。
大正琴の生演奏は「・荒城の月(明治34年)・みかんの花咲丘(昭和21年)・里の秋(昭和23年)・おぼろ月夜(大正元年)・ふる里(大正3年)・あおげば尊し(明治17年)・もみじ(明治44年)・古城」など。「荒城の月」や「あおげば尊し」などは生前に発表された歌曲であり、独歩の耳にも届いたことであろう。
また、午前と午後の演奏の間はCDにより、独歩が聞いたと思われる曲「故郷の廃家(M40)故郷の空(M21)旅愁(M40)埴生の宿(M22)とうだいもり(M22)仰げば尊し(M17)思い出(M23)蛍の光(M10)うさぎ(M25)夏は来ぬ(M29)故郷の人々(M21)港(M29)アニーローリー(M17)秋の月(M33)一月一日(M2)花(M33)はなさかじじい(M34)霞か雲か(M25)青葉の笛(M39)大国さま(M38)お正月(M33)箱根八里(M33)さくらさくら(古謡)」を流した。
国木田独歩館の庭に特別席等を用意はしなかったが、立ち止まって大正琴の演奏に聞き入っている人の姿が見受けられた。大正琴は独歩の生きていた時代を髣髴とさせ、いにしえの時を感得させてくれた。庭の外にもよく聞こえるようにスピーカーを配置して、道路を歩く人たちにも聞けるように配慮した。あたりには明治の時代の情緒があふれ、趣きある演奏会であった。
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独歩の四季 秋 佐伯独歩会講演会
講師
中島礼子教授 国士舘大学教授
演題
午前:「独歩の自然観・生命観について」一般対象
午後:「佐伯時代の独歩・文学の楽しさ」高校生対象
昨年は中島礼子教授を迎えて、「佐伯なくして独歩なし」という演題で講演していただきましたが、今年も中島礼子教授を迎えて、独歩作品の基底にながれる独歩の中心的な思想について講演をしていただきました。
午前の部は一般を対象として、開催しました。参加人数は40名ほどで、中島礼子教授の講演をビデオに録画するということもあり、講演は講義の形となりました。アドリブでその場の状況に対応することができなくなりましたが、講義の内容は「独歩の自然観・生命観について」ということで、独歩文学を理解していくための基本的な内容でした。
中島教授は、「独歩の自然観は、「自然」物や「自然」現象を一つ一つ切り離されたかたちではなく、すべての生あるものをふくめて、「宇宙はホール」・「自然の一なること」としての現象を「ありのまゝ」の「自然」として理解していた。独歩は、宇宙・自然と自己(生物=人間的生命)━ すなわちヒューマン エコ・システムのなかに、真の美を認め、洞察していた。また、独歩は、社会的にさまざまに階層づけできる人びとにも、実在そのものの諸条件のもとでの視角からダイレクトに理解しようとして、社会的な差別を取りはらっている」と語り、フランス自然主義文学のとらえる自然とは異なっていることを講演されました。
参加者は独歩の文学作品に貫いている独歩の中心的な考えに触れることができ、これから読書して独歩の考えを認識していくのに大いに益になったと思われました。アンケートの回答にも、「独歩を深く理解することができた。」という感想が多く書かれていました。
午後は、高校生対象で、15名ほどの参加でした。演題は「佐伯時代の独歩・文学の楽しさ」ということで、講演を行いました。
高校生には国木田独歩という人物はあまり知られていなく、関心がないようでありましたが、佐伯時代の独歩の足取りや佐伯を題材にして文学作品を創作したことを知ると、あらたに佐伯の良さを感じ取ったようであり、佐伯を誇りに思えるようになったようでした。
中島教授が文学をとおして、尊敬する先生のことを話され、「興味あることを続ければよい」という言葉を受け取ったことや自分が国木田独歩を研究してきて、文学作品を読むときには単に作品を読むだけでなく、その作品の時代背景などをしっかりと把握することが文学作品を深く理解することになるなどのことを話されました。
先生の「文学の楽しみ」についての講演はいままで勉強してきたこととは大きく違い、これから人生を生きていくうえで大いに感銘を受けたのではないかと思われました。
質問のコーナーを設け、大学での勉強の仕方や大学時代に必要なことは友達と交流を深めることなども大いに重要だなどの話をなされ、高校生には貴重な時間になり、これからの進路の参考になったようでした。アンケート結果にも、「今日の講演は大変良かった。」「国木田独歩という一人の文豪を生み出した佐伯という土地に生まれ育ったことを誇りに思いました。」など感想が書かれてありました。
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中島礼子先生の講演内容はこちらから
朗読と邦楽とのコラボで偲ぶ独歩忌
6月23日(木)夕暮れ迫る6時30分より国木田独歩館において「朗読と邦楽とのコラボで偲ぶ独歩忌」をおこなった。
この時間帯に国木田独歩館を使用することははじめてで、自然の風と音がながれてくる会場の雰囲気は朗読と邦楽の効果を倍加させ、参加者はその余韻に浸りきった。
朗読は独歩の名作「春の鳥」と佐伯の様子を伝えている「小春」の一部を行った。
邦楽は独歩が生きていた時代に唄われていた民謡を朗読の間に配置して、独歩の佐伯での生活と関連していたことを宮明副会長の説明で物語っていった。